1に富士、2に鷹の羽の打ち違い、3に上野の春に花は散るらん
という日本3大仇討と呼ばれる物語があります。 富士とは 復讐を誓って10年後に、富士の裾野で成し遂げた曽我兄弟の仇討ち 鷹の羽の打ち違いとは 播州赤穂の浅野家の紋所で大石内蔵助以下47士の仇討 上野の春に花は散るらんとは 桜が咲く伊賀上野で荒木又衛門が渡辺数馬に助太刀をした仇討 この中で、大石内蔵助以下47士の仇討は忠臣蔵として一番有名です。 小学生の頃、講談本を読んだり、映画を見たり忠臣蔵の物語に親しんできました。仕事でよく行った東京の支店は泉岳寺の近くにあることもあって、仇討ちの為討ち入りした本所松坂町の吉良邸跡から、亡き主君浅野内匠頭の墓のある泉岳寺までの12キロを歩いて見たいと思っていました。 平成16年12月27日〜28日に、この希望が実現しました。下記にその様子を掲載します。 |
赤穂事件概要 播州赤穂藩の城主浅野内匠頭は元禄14年(1701年)幕府から勅使饗応役を命ぜられた時上司の吉良上野介から、武士の立場を著しく傷つけるいやがらせを受け、同年3月14日に江戸城松の廊下にて上野介に対し刃傷をしました。 これに対する幕府の裁定は、赤穂藩は断絶、内匠頭は即日切腹、上野介はお咎めなしというものでした。当時の「喧嘩両成敗」という御法度からは外れたものということで、赤穂藩は処罰の撤回と、藩の再興を嘆願しましたが容れられませんでした。 そこで、翌年元禄15年(1702年)12月14日、大石内蔵助以下の47名が本所松坂町の吉良邸に討入り、吉良上野介を殺害しました。 殺害後その首級を亡君の墓のある泉岳寺まで運び、内匠頭の墓に仇討の本懐を報告しました。 元禄16年(1703年)2月4日46名の義士は幕府の命により切腹し、残りの1名は内蔵助の命により、事の仔細を関係者に報告する為に行動を別にしました。 この史実は後に演劇化され、「忠臣蔵」として現在も日本人の心の中にあります。そこには「義」や「忠」や「愛」という日本人が大切にする精神があるからだと思います。 |
泉岳寺で購入した義士銘々傳です。表紙に掲載されているのは 鷹の羽の打ち違いの浅野家家紋 大石蔵之助が討ち入りの時に打ったと言われる山賀流陣太鼓 です。 また、浅野内匠頭、及び47人の浪士の 姓名、戒名、行年、赤穂時代の役目、時世の句など が記されています。興味のある方はご覧下さい。 特に、時世の句は、判り易い表現で書かれており、大石蔵之助他の句に感動しました。 |
本所松坂町の吉良邸跡は、東京都墨田区のJR総武本線両国駅の南500メートルにあります。東京駅からだと秋葉原まで山手線などで行き、秋葉原で乗り換え、千葉方面行きの総武本線で両国橋で下車します。
歩いたルートは2つの地図にあります。興味があったら見てください。 吉良邸跡地から八丁堀、新橋まで 八丁堀、新橋から泉岳寺まで | |
朝浜松を出て、青春18切符で行き、ここ松坂町公園についたのが、13時。16時30分になったら暗くなるので、食事はコンビニの弁当です。時間があってもコンビニの弁当かも??? | |
回向院は吉良邸に隣接していた寺で、赤穂浪士が討ち入り後の集合場所に予定していたところです。ここは入山を拒否された様で、私も入り口を見ただけで、浪士が一時の休息をしたと言われる両国橋に向かいました。 | |
両国橋を渡る予定だったという話もあって、そこの守備の役人が、隅田川の東岸を南に下って、永代橋を渡る様にアドバイスした場面を映画で見たことがあります。 でも、事前の調査はしてあるだろうから、初めから、そのルートを行く予定だったと思います。 | |
この近辺は東岸も西岸も公園になっています。数年前、西岸を自転車で走った懐かしい思い出がありますが、この日は赤穂浪士と同様に東岸を歩きました。芭蕉の句碑が数十メートル間隔でありました。 この日より、3日前に13年と10ケ月間家族だったGladが天国に行きました。この旅行はGladの弔い旅行でもあり、一緒に連れていきました。 | |
永代橋の東岸のすぐ北に、ちくまビルがあります。 ここで、ちくま味噌の元祖作兵衛さんが、浪士に甘酒を振舞ったという話があり、私もそれにあやかって、ちくまビルの隣にある自販機の甘カンコーヒーを飲みました。 | |
永代橋の西岸からの写真です。左端の2階建てのビルがちくまビルです。 | |
永代橋を渡って、八丁堀を過ぎると主君浅野内匠頭の生誕地である浅野内匠頭邸跡があります。浪士はここで、仇討ち成就の儀式を行った様です。 | |
浅野内匠頭邸跡西に立派な柳がありました。 | |
本所より泉岳寺までは12キロ程度なので3時間あれば良い訳ですが、いろいろな跡地を確認しながら行きましたので、泉岳寺に到着する前に暗くなってしまいました。 芝大門からの増上寺の建物と東京タワーです。 | |
東京タワーに隣接してイルミネーションが年末ということで綺麗に光っていました。 | |
東京タワーの3階の蝋人形館。右から、オードリーヘップバーン、エリザベステーラー、ジュリアロバーツです。 エリザベステーラーがそっくりです。身長は実物大なのでしょうね。他の二人と随分違いますが、彼女達の映画を何回も見ましたが、こんな身長差は全然分からなかったです。 | |
翌朝、再び泉岳寺に向かいました。 三(御)田八幡神社です。ここは、仇討ちを脱落した高田郡兵衛が祝い酒を持参して来たが追い返されたという逸話があるところです。 | |
泉岳寺まであと500メートルくらいのところ(つまり、泉岳寺より国道15号線を500メートル北上)にヤマハ鞄結梹x店があります。在籍中何回となく来たところで、ここから、昼休みに2回ほど、泉岳寺に行ったことがあります。 | |
泉岳寺に着きました。松坂町から歩いて4時間ほどかかったことになります。浪士も、いろいろあったみたいだから、それ以上の時間を使って到着したことでしょう。 | |
浅野内匠頭の墓です。 ここには47人全員の墓があり、線香が60本くらいで売っていました。一本ずつ備えて、偉い人には5本程度ということでそんな本数になっているそうです。 | |
午後、6年前に住んでいた日野市多摩平に行ってみました。 ここは、当時借りていた住居です。Gladもこの家の庭でのんびりしていました。 | |
多摩平の都営住宅は6年前から建て替えが始まっていたので、見に行ってみました。こんな立派なたてものが建っていました。Gladの散歩コースでもありました。懐かしい、Gladのことを思い出させる場所でもあります。 | |
浜松駅のイルミネーションも綺麗でした。 | |
自宅に帰ってベルトについている万歩計を見ました。 56,355歩。1歩が60センチとしても30キロ(せいぜい20キロ)になってしまうので、感度が良すぎますが、愛用しています。 |