台北、オランダの次は、やはり、自転車持参で、孫の住んでいるニューヨークに行きました。ニューヨークの郊外は自転車で走るところが沢山あり、マンハッタンは自転車で走る地域は限られているという状況でした。いずれにしても、車社会で、運転者が自転車に馴れていないと思われるので、自転車の運転には最新の注意が必要だと思います。 9月8日18時5分アメリカン・エアラインAAで成田空港発、同日18時ニューヨーク着。この時期アメリカはサマータイムで日本との時差は13時間。従って、飛行機に乗っていた時間も13時間ということになります。 | |
9月8日 | 13時間を狭い座席でじっとしていないといけないのは大変苦痛でした。通路側の席だと、通路に出て、屈伸運動とかやれば多少は良いのでしょうが・・・。 |
9月9日 | 息子に、居住する街ライRyeの近くを車で、メトロ・ノース(郊外電車)でマンハッタンの中心部(エンパィアステートビル)などを徒歩で案内してもらいました。 |
9月10日 | ライの近郊のハリスン市Harrison、グリニッチ市Greenwichをメトロ・ノースも利用しながら自転車で走りました。60Km |
9月11日 | メトロ・ノースでニューヨークの中心部の駅、グランド・セントラルGrand Centralまで行き、セントラレ・パークを中心に自転車で走りました。41Km |
9月12日 | マンハッタン島を周遊するフェリークルーズに乗り、セントラルパーク周辺の美術館を見学しました。0Km |
9月13日 | 息子のゴルフの練習を見学(私はゴルフやりません)、そして息子家族とマンハッタンにお土産の買い物に出かけました。0Km |
9月14日 | マンハッタンの南端からセントラルパークまで歩いてのニューヨーク散策をしました。0Km |
9月15日 | フラッシング・メドゥ(ナショナルテニスセンターのあるところ)とマンハッタンのウエスト・ストリートを使ってグランドセントラルからブルックリンブリッジBrookln Bridgeを往復しました。54Km |
9月16日 | メトロ・ノースを利用して、ダリアン市Darienを走りました。34Km |
9月17日 | ケネディ空港(11:45発・日本時間18日0:45)から成田空港(18日14:30着 帰路は14時間弱)へ。 |
9月18日 | 午前9時45分成田着。 |
息子がいるということもあり、最近はニューヨークも治安が良いと聞いていたので、オランダ旅行に比較して、比較的安心感のある旅行でした。 但し、アメリカには黒人が多数いて、我々黄色人種に対する態度が気になりました。オランダでは、個人的な差はあっても、全体的には好意的な感じを受け、楽しい旅だったのですが、アメリカ黒人の自分に対する態度が、例外はありましたが、随分冷たく、一寸、寂しい思いをしました。これは、やはり、歴史がそうさせるのでしょうか。 でも、黒人が大統領になったり、アメリカ合衆国も、すこしずつ変わっていくのでしょう。 |
9月8日 成田からニューヨークヘ | |
浜松を出発。あいちゃんとは当分の間お別れです。帰った時のあいちゃんの歓迎ぶりが楽しみです。 | |
成田への列車には品川駅で乗り換えします。自転車を担いで移動しますから、東京駅はホームの移動が大変です。これは成田エキスプレスで、眼が飛び出るほどの高料金で、とても乗る気にはなりません。 | |
9月は10日まで、青春18切符が使えるので、快速エアポート成田を利用しました。ニューヨークの孫に、どっちに乗りたいって聞いたら、成田エキスプレスだって。青春18切符だと(1日あたり)2,250円で、東京-成田を移動出来るし、列車に5時間以上も乗っていられるから、こっちの方が良いのでは???(^_^.) | |
成田からの飛行機はアメリカン・エアラインを使いました。往復で115,000円(燃料チャージコミ)という格安料金でした。空港に早く着いたから、座席を窓側ではなくて、通路側にすればよかったと思いました。国内線では窓側の方が良いかもしれないけど、13時間もかかる国際線では通路側(aisle side)に限ります。 | |
成田出発が8日の18時5分、ニューヨーク・ケネディ空港着が同日18時でした。この季節はアメリカはサマータイムなので時差は13時間。従って、機内に13時間以上いたことになります。 空港には息子が迎えに来てくれてました。空港から息子の家への移動はUSTAナショナルテニスセンターの近くを通ります。この時間にはUSオープンテニスの決勝の表彰式の時間だった様です。決勝は予定より雨で1日延期され、テレビの生中継も録画も見逃してしまいました。(ビデオ貸してくれる人いないかなあ) | |
9月9日 エンパィア・ステート・ビル The Empire State Building | |
息子の自宅はマンハッタンから北東へ40キロ程度の距離のライ市Ryeです。朝の散歩で近所のガソリンスタンドを写しました。 1ガロン(3.8L)の価格と思われるので43.3ドルとすれば1リットルあたり114円になります。 | |
この日は息子は休暇を取って、ライ市近辺とマンハッタンを案内してくれました。途中でUSオープンテニスのニュースのある新聞を買おうと思っているところだったのですが、この新聞は列車の中に放置してあったものです。 | |
上の見出しは Familiar Federer, Familiar pose Wins U.S.Open For Fifth Time In a Row お馴染みのフェデラーのお馴染みのポーズ USオープン5連続優勝 下の見出しは Looking Strong at End of Long Season 長いシーズンの最後に強さを見せてくれた ということでしょうか。 | |
エンパイア・ステート・ビルに登りました。この鳥、色は黒いけど体型は鳩ににていました。写真撮ってくれとカメラの前をうろうろしていました。 このビルは1931年に2年足らずで作られたそうです。設計段階で、工事での死者の見積もりもあって、102階建ビルで、1階1人の死者を見込んだと言われる。つまり、102人の死者を見込んだということだったが、実際には30数人だったとオーディオ・ツアー・サービス(日本語)で言っていた様です。 ワールドトレードセンターがない現在、この近辺では一番高い建物で、遠く離れるとその高さが実感出来るという感じです。高さのレベルは違っても、富士山もそう感じさせてくれるのに似ています。 | |
映画「ティファニーで朝食を」で有名になったティファニー。レストランではないということは、この映画を見て初めて知りました。店の外観は宝石店らしくありません。 | |
ここで土産を買えば、話題性は十分なので、いろいろ捜しましたが、候補に上がったのが、2万円のキーホルダー。話題性を2万で買うのは馬鹿らしいと思ってやめました。 | |
9月10日 ライの近郊のハリスン、グリニッチを自転車周遊 | |
この日から単独行動です。まず自転車で、ライ市近郊を走りました。 | |
ライ市内の学校です。建物が立派だと思いました。 | |
上の学校の向かいにある教会。教会というのは、歴史を感じさせたり、立派な建物が多いので、なかなか良い被写体になります。 | |
ライ市の南は海で、ヨットの保管港がありました。金持ちが多いところで、ヨットの数も驚くほどです。 | |
大邸宅(英語ではmansion)が多く、庭にテニスコートのある邸宅も多くありました。ここは、庭ではなくて、一般のテニスコートの様です。 | |
女性専用コートなのでしょうか、日本だと見かけるオジサンが一人もいません。 | |
mansionの一例です。海がこのmansionの庭代わりになっています。 | |
ライ市の北西に面したハリスン市Harrisonも走りました。ここも大邸宅が多い。 | |
ライ市からメトロ・ノース列車で2駅北東(マンハッタンの反対寄り)のグリニッチシティGreenwichを走りました。写真の近辺は左右上下に道がグニャグニャしていると思ったら・・・。 | |
道の名前がグニャ道Guinea Roadでした。 | |
Mansion | |
Mansion | |
道が分からなくなって、交差点crossroadで停まっている車の女性に聞いたら、こっち方面のベアーって言っていたから、このbearかなと思いつつ、でもこれは個人の家に入る感じだからとも思いつつ、ここを進んだら、やっぱり違っていて、引き返しました。 ラッキーだったのは、家宅侵入だと言って拳銃で撃たれることなく、親切な住人に道を教えて貰ったことです。でも、親切な人は、英語でも、日本語でもなく、スペイン語で喋っていたような感じでした。でも、判ったような気分になったのは不思議でした。 | |
<この旅行での失敗
その1> 日本では、普通電車、快速電車、特急電車というランク分けである程度停車駅が決まっていますが、メトロ・ノースは、列車毎にまるで停車駅が異なっていて、必ず時刻表を見て乗車しないといけないことになっています。その認識はあって、時刻表を見て、どの列車に乗るか調べていたのですが、たまたまその前の列車が来た時に、うっかり乗ってしまいました。 で、この写真の駅まで止まりませんでした。この駅はHarlem-125St、9つの駅に止まらず、終着駅の1駅前でした。途中車内で乗客から間違った電車に乗ったことや、ハーレム125ストリートまで停まらないこと、車掌からハーレムで列車を乗り換えろといわれたこと、いろいろ話してくれました。英語なので、十分理解したとは言えなかったかも知れませんが、それでも、なんとか戻りの列車に乗りました。その列車の車掌は折り返しで戻ってきた先の列車の車掌だったみたい。 まあ、お陰で、Harlem-125Stにはトイレがあることが分りました。ライ駅もそうですが、メトロ・ノースの駅にはトイレのあることは少ないのです。Harlem-125Stにはトイレがありました。立派なドアのついた、立派な、1人しか利用出来ない個室トイレでした。ニューヨークは公衆トイレが少なく、自分の購入したガイドブックには「こまった時のトイレマップ」というページがあるほどです。 |
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9月11日 グランド・セントラル(グラセン)からセントラル・パークを中心に自転車でマンハッタン周遊 | |
マンハッタンを自転車で走りました。ライ駅からメトロ・ノースでマンハッタンの中心のグランド・センラル駅まで行き、そこから自転車で走ります。 | |
グランド・セントラル駅はメトロ・ノースなどの郊外電車の起点駅です。1871年に開業したというから、140年近い歴史がある訳です。メトロ・ノースはロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープ主演のアメリカ映画「恋におちて」で重要な出会いの場所になっていて、車内の様子など懐かしく、帰ってから改めて、この映画を見直しました。 | |
グランド・セントラル駅の天井の星座です。 | |
「恋におちて」でロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープがグランドセントラル駅のコンコースを話しながら歩く場面です。 | |
不倫の2人がハッピーエンドになる映画はあまりないと思いますが、この映画はハッピー・エンドです。この映画はこの場面の直後にメトロ・ノースの車中で終わります。 | |
この駅は1998年に全面改装された様です。この時に、改装ではなく、建て替えという話が出ていて、これを元ケネディ大統領夫人のジャックリーヌさんが、若者に古いものから学んでほしい、だから、この駅を残してほしいという嘆願をしたというのをガイドブックで読みました。そして、そのことを記した碑文があるということで、やっと捜しだしました。というのは、駅の一部で丁度工事をしていて、この碑文のある場所は工事で隔離されていたからです。2日前に、息子と見つけた碑文の写真を撮ろうと、テントの中に入ろうとした時に、工事関係者から止められて、警察を呼ぶぞと言われた(これは息子の通訳でわかったことで、一人だったらわからないので警察が来たかも・・・)こともあり、この日はテントの入口から、遠慮しながら、撮影をしました。 全部大文字なのと、コンマとピリオドの区別がつきにくいのですが、下記に英文と和訳を入れてみました。気がついたこと、或はより適正な和訳があれば教えて下さい。 | |
In
memory and honor of Jacqueline Kennedy Onassis 1929-1994 In an age when few people sought to preserve the architectural wonders that are a daily reminder of our rich and glorious past, brave woman rose in protest to save this terminal from demolition. Because of her tireless and valiant efforts, it stands today as a monument to those who came before us and built the greatest city known to mankind. Preserving this great landmark is one of her many enduring legacies the people of New York are forever grateful. October 1. 1998 ジャックリーヌ・ケネディ・オナシス1929-1994 に敬意を表して 豊かな素晴らしい過去を思い出させる建築を残そうという機運があまり無かった時代に彼女は勇敢にもこの駅を守ろうと立ち上がりました。 彼女のたゆみない、勇敢な努力で、こんにちグランド・セントラル駅は、人類が作った最も偉大な都市の象徴として、生き残っています。そして、この歴史的建造物はニューヨーク市民が偉大であるということを永久に物語るでしょう。それこそ彼女が期待したことだったのです。 我ながら名(迷?)訳です。現在はSohoなどで見る様に建物は残して内装だけやりなおすという気運のようですが、当時はそうではなかった様です。古い建物を見て、昔の人たちの功績を現代の若人が感じてくれることを元ケネディ大統領夫人が当時の市長に訴えたということでしょう。ちなみに、グランド・セントラル駅が営業を開始したのは1871年だそうです。 | |
グラント・セントラル外観 | |
この時計は有名らしい。 | |
右側の針の先の様なビルはクライスラービルで、真東の位置にあります。 | |
グランドセントラルからセントラルパークに行く途中にあったモニュメント。ガイドブックにこういうものが沢山あるとあったので、その一つとして撮影しました。 | |
ロックフェラー・センター。この金ぴかの像も有名なものの様で、何かの映画でも出てきました。 | |
ロックフェラーセンター近辺は警備が厳しいと感じました。自転車を押してうろうろしていたら、黒人の警備員から、あっちへ行けと言われたらしい。 | |
セントラル・パークの西南の角には露店があって土産物の店が並んでいました。私は、この店で紅葉のセントラルパークの額つき写真を土産に購入しました。 | |
セントラルパークは歩道、自転車道、車道がサーキット状に走っています。この日は車は少なく、歩行者、ランニング者、自転車が走っており、たまに、ローラースケートも走っていました。 | |
セントラレパークのべンチは寄付により、メッセージを記録することが出来るようで、幾つかのものを写して、集めてみました。 | |
Babi
For all our Happy Times My love, Stephanie To our Grandparents Minnie & Ah-ah Nonie & Papa With love--Jeff, Andrew and Peter In Loving Gottesman March 27, 1909 - September 13, 1998 "Threre's only one New York" This bench was given to Jordan Lambert Gary With love from his Grand mother どんな背景か正確には分りませんが、それぞれの家族なりの歴史が感じられます。 | |
セントラルパークの中には30面ものテニスコートがありました。 | |
ストロベリー・フィールドを捜しましたが、やっと見つかりました。3人目の方に質問した時に、何となく、日本人らしいところが見えたので、改めて、「日本語の方が良かったてすか」と言ったら、日本人だったようで、日本語で教えてくれました。 | |
ジョン・レノンのモニュメントがあるストロベリー・フィールドは、沢山の人が集まっていました。 | |
Imagine という曲がジョン・レノンの代表的な曲で、「理想の世界を想像してみて」という歌詞だったように思います。 | |
この近くで、黒人の女性から小物入れを買いました。露店で買った時は売主さんをカメラに収めると良いですね。その時の為に、予め、それを依頼する言葉を考えておきましょう。 | |
ダコダ・アパートです。この道路の向こうでジョン・レノンが銃弾にあったということです。
<失敗談 その2> | |
9月12日 マンハッタン島をフェリークルーズで周遊、セントラルパーク周辺の美術館見学 | |
息子が用意してくれた計画の中にフェリークルーズがあって、2時間コース、3時間コースのいずれかを選択するということでしたが、マンハッタン島を周遊の3時間コースにしました。確かに、マンハッタン島の南側周辺は自由の女神、ウォール街など見るべきものが多いけど、北側周辺は少ないから、途中で引き返す2時間コースは時間のない人にはよいコースです。でも、マンハッタン島を周遊すると、マンハッタンを征服した様な気分になるので、1時間を費やすのもまたGoodです。"The
best way to SEA NYC!"と書かれています。 これらの乗り場はピア83。マンハッタンの42丁目の西の端、グランドセントラル駅が42丁目なのでそこから真西に2-3キロ、歩いて30分くらいだったと思います。 | |
これが乗船したフェリー。写真の角度の関係で、小さく見えますが、結構大きく、船酔いとかの心配は無いようです。 | |
Beastという高速艇でのクルーズもあるようです。1時間くらいでしょうか。 | |
以下4枚はフェリーからのマンハッタン・ミッドタウン方面を撮影したものです。エンパイア・ステート・ビルの大きさがいろいろで、このビルの高さが感じられます。 | |
左の背の高いビルはエンパイア・ステートビル(34st5thAve)で、右側のそれはクライスラービル(42stParkAve)です。もう少し北に移動した時に撮影すればクライスラービルが巧く撮れたでしょう。 クライスラービルの方が新しそうに見えましたが、実際には1930年にクライスラービルが出来、世界一の高さだったけど、1931年にエナパイア・ステート・ビルが出来て、世界一の座を奪ったらしい。 ニューヨークでは、地図上の横の道路はStreet、縦の道路はAvenueとなっており、Streetは南から、Avenueは東から数字で表示されているからそれらの数字が表示されれば場所が特定出来るようです。 | |
ウオール街。ウオール街というネーミングは北(この写真は南側から北を撮影しています)からの、イギリスや原住民の攻撃を防備する壁wallからだということですが、ウォール街はマンハッタン島の南端であり、独立当時は随分狭い範囲だったと感じました。 | |
自由の女神 Liberty of Statue | |
マンハッタン島周遊なので女神のいるリバティ島には上陸出来ませんでした。女神の王冠の部分まで登れるそうですが、人数が限られており、8時30分だかの朝一番のフェリーで行かないと登れないそうです。 | |
自由の女神はアメリカの象徴で大変良いイメージですが、最近は、アメリカの悪い部分も顕著になっており、アメリカが少しイメージダウンの感があり、残念です。 | |
男性の乗客にビデオを撮影してもらって、切り抜いた写真です。後の若い女性がこっちを向いたタイミングで切り取りました。(*^_^*) | |
国際連合のビル。学校の教科書でお馴染みですね。 | |
左の橋はブルックリン・ブリッジで3日後に自転車で渡りましたから判りますが、他は判りにくいです。 地図でマンハッタン島の周りの橋を調べてまとめてみました。マンハッタン島の東側に関しては、フェリーから見た感じより橋の数が随分多く、西側は少ないと感じました。 マンハッタン島の東側に掛かっている橋は南から北(フェリーの進行順)に ブルックリンブリッジBrooklyn Bridge マンハッタンブリッジManhattan Bridge ウィリアムスバーグブリッジWilliamsburg Bridge 59ストリートブリッジ59thstreet Bridge Triborough Bridge Willis Ave Bridge マディソンアベブリッジMadison Ave Bridge 145th St Bridge Macombs Dam Bridge High Bridge Washington Bridge University Heights Bridge Henrry Hudson Bridge マンハッタン島の西側に掛かっている橋は北から南に、と言っても1つだけですが ジョージワシントンブリッジGeorge Washington Bridge | |
この橋もガイドブックで調べれは名前が判るでしょうね。 | |
橋と平行にゴンドラが走っていました。 | |
これはマンハッタン島の西側にある橋だから、ジョージ・ワシントン・ブリッジでしょうか。 | |
これもジョージ・ワシントン・ブリッジだろうと思いますが、定かではありません。 | |
マンハッタン島の北側は南側と違って、こんな緑の多い景色がありました。 | |
ガイドさん。一緒にフェリーに乗り込んだ時は、船長かなと思いました。 | |
フェリーの中にある売店 | |
Beer $6.50 Juce $3.50 Coffee/Tea/HotChocolate $2.25 とあります。ビールがちょっと高いです。 | |
Large Popcorn 4ドル也。確かに大きいですが、塩味が利きすぎて沢山食べれませんでした。息子の家族にも賞味してもらいましたが、多分半分くらいは捨てられたのではないでしょうか。 | |
クルージングを終えてアメリカ自然史博物館。ピア83からは地下鉄で移動しました。セントラルパークの西、ダコタアパートの北にあります。 | |
恐竜の骨の化石。殆ど完全なもののように見えます。 | |
日本も紹介されていました。 | |
自然史博物館を東に出るとセントラルパークがあり、それを東に横断すると、セントラルパークの東の端にメトロポリタン美術館があります。 この絵は、以前に写真で見た様な気もしますが、一番気に入った絵です。10代の時に、何度も、こんな場面を空想した筈です。左のは Pierre-Auguste Cot の Springtime というタイトルです。 アメリカだからと言えるのでしょうか。係員に写真撮っても良いかって聞いたら、フラッシュを使わなければOKだとのことでした。ただし、ニューヨーク全部の美術館でOKだということではないようです。 | |
レンブラントの自画像。この絵も有名で、多分、教科書で見たと思います。 | |
メトロポリタン美術館は広くて、展示室が多く、フェルメールのこの絵を捜すのに時間が掛かりました。展示室には係員がいるのですが、4-5名の係員に聞きまくってやっとたどり着きました。 フェルメールの水差しを持つ女性 Johannes Vermeer "Young Woman with a Water Picher" | |
帰りはグランドセントラルからメトロノースに乗るのですが、グランドセントラルは1階と地下1階にホームがあって、その数30を越えています。乗車する時は、時刻表で、目的地に停まる電車を捜し、その電車の発車時間を見て、左のディスプレイで発車ホームの番号を確認し、1階か地下か、手前か奥かを確認して、乗車する訳です。 | |
メトロ・ノースの乗車券 | |
メトロノースの駅では改札口というものはありません。切符の確認は全て車内で車掌がします。だから、日本の列車と違って、車掌は沢山仕事をする訳で、多分、1列車に数人の車掌が列車を分担して乗り込んでいる筈です。 左のシートは、車内で、車掌から切符を確認した時に発行されるもので、各座席にこのシートを保持するものがあって、その座席に座っている客が切符を点検されたかどうかを示すという目的を持っています。 Please keep this seat check in sight and take it with you if you change or leave your seat.と書いてありますが、"take it" の it というのはこのシート自体だから、it は変だと感じます。だけどitが使われているのは、itが「それ」という意味ではなく、場所とは関係なく指し示す対象を示す言葉であるということを著しているのでしょうか。 |
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9月13日 息子のゴルフの練習を見学、そして息子家族とマンハッタンにお土産の買い物 | |
長男の嫁さんへのお土産に、嫁さん指定のスポーツウェアの店に入りました。 | |
ニューヨークヤンキースのグッヅの店。 | |
孫を肩車して | |
9月14日 マンハッタンの南端からセントラルパークまで歩いてのニューヨーク散策 | |
メトロノースの車内の広告。孫がトーマスの大ファンなので撮影しました。 | |
グランドセントラルから地下鉄でバッテリーパークまで行く予定が、何故か、途中で下車するはめになって、少し歩きました。バッテリーパークからウオール街を撮影。 | |
ニューヨークに限らないと思いますが、アメリカは国旗が多く掲揚されるところだろうと思います。星条旗はアメリカ人が誇りに思っている感じがしますが、日本の国旗はあまりそんな感じがしない気がします。最近日本では祭日でも国旗はあまり見かけないから、多くの人がそういうことを感じていないのではないでしょうか。私の子供の頃、名古屋では殆どの家庭で国旗を掲揚していました。 | |
キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメントの傍のモニュメント、説明が無かったので、何か分かりませんが、なにやらいわくありげです。 | |
キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント | |
モニュメントの説明。要約すると、この建物は、1808年から1811年にかけて建造され、1812年の戦争で、ニューヨーク港の防御をになった。そして、1815年にデゥィット・クリントンの栄誉にちなんで名付けられ、合衆国第3軍団の司令部となった。
アメリカの独立は1776年だから、それから40年後の戦争とはどんな戦争だったのだろう。 | |
4番、5番の列車が通る地下鉄の駅だけど、No trains at this station と表示されている。この駅で下車したかったけど、工事の関係か、この駅には地下鉄が来ていないから、途中下車するはめになったらしい。 | |
教会の墓地。オランダの時も感じましたが、墓地は日本に比較すると綺麗です。 | |
ガイドブックにはニューヨーク市庁舎とあるが、この日は日曜日で、閉鎖されていたこともあり、建物がこじんまりしていて、現在も市庁舎として使われているのか、判らなかった。 | |
フェデラル・ホールのジュージ・ワシントンの銅像。この建物の位置をうっかり見逃して、市庁舎まで行ってしまったけど、この建物は必見だと思って、2キロ程度だけど戻っての見学でした。 | |
ジョージ・ワシントンが初代大統領だと書いてあるようです。 | |
フェデラル・ホールの斜め向かいがニューヨーク証券取引所でした。この建物も、実際に業務に使われているものなのか、この時は分かりませんでした。帰国して、株の大暴落のニュースを見た時に、この建物が写っていましたから、現在も使われていると認識しました。 | |
左がフェデラル・ホール、右がニューヨーク証券取引所です。ゴミバコが無造作に置いてあるのが、なんとなくアメリカらしいと思って撮影しました。 | |
グラウンド・ゼロの近くに掲示されていた案内図です。バッテリーパーク、ウォール街、グラウンドゼロが表示されています。 | |
グラウンドゼロ。この時期には新らたに、ワールドトレードセンターWTCの建造が始まっていました。 グラウンドゼロには亡くなった人の名前とかを記録してある碑銘があるとか聞いていましたが、それば見つかりませんでした。 | |
セイント・ジョン大学の校舎の壁に掲げられていた碑銘です。9.11の時にアメリカ赤十字は、ニューヨーク市、この大学と協力し、3ケ月間、サポート活動をしたという意味のことが書いてある様です。 | |
チャイナタウン。正に下町という感じでした。 | |
中華料理店での昼食。ご飯はあるし、ビールは安いし、目で見て選択出来るので良かった。ただ、相手の言う英語がなかなか分らないので、せかされて、そこはちょっとという感じです。 | |
ソーホーSoho地区に南から入ったのですが、人だかりの中で、歌を歌っていたので撮影しました。 | |
ソーホーの印象は、このカースト・アイアンという歴史的建造物と、ショップです。 カースト・アイアンは19世紀の中頃にイギリスから伝えられた建築様式で、建物の骨格や外観を構成する鉄の枠組みが特徴だそうです。 | |
マンハッタンでは、新しく建物を建て替えるより、元の建造物を活かして改装するケースが多い様ですが、外観は古めかしく、内装は斬新というショップが沢山ありました。 古めかしい外観がより内装の斬新さを強調しているという感じが素晴らしいと思いました。 | |
斬新なデザインのbyc | |
ソーホーの北にワシントンスクエアがあります。少し通り過ぎてから戻ったので、ワシントンスクエアは北東の入口から入ったのですが、入口の近くの地面に絵を描いている人がいました。 | |
南にはジュゼッペ・ガリバリディ1807-1882の銅像がありました。ガリバルディの名前は歴史の授業で知っていたので撮影しましたが、帰って調べてみると、イタリア王国統一に貢献した軍事家でした。 | |
ガリバルディの銅像がどうしてこのワシントンスクウエアーの一角に設置されたかの経緯が書いてある様です。 ガリバルディの6回忌に New York's Italian-American community が寄贈したとありますが、ここに設置する意味というのが今ひとつ分りません。 意味がわからないものの写真をここに掲載するということの意味が今ひとつという意見もありますが、知らない土地で、ガリバルディという懐かしい名前を見つけた感激というようなものを示したいと思ったのです。 | |
ワシントンスクウエアーを象徴する建造物です。工事中で、この一角は立ち入り禁止でした。 | |
ユニオンスクエアー。ヤングガールが生きの良いステージをやっていました。 なんとかスクエアーというのがいろいろあったような印象なのですが、そんなにたくさんでもありませんでした。ワシントンスクエアー、ユニオンスクエアー、マディソンスクエアーガーデンの3つで、マディソンスクエアーは公園ではないから、2つだけと言っても良いようです。 | |
ユニオンスクエアーにはガンジーの銅像ってガイドブックにあったので捜したのですが、見つかりませんでした。代わりに、ワシントンの銅像がありました。 | |
ユニオンスクエアーから北に2-300メートルほど進むとフラットアンアンビルがあります。 1902年、当時はまだ珍しかったスチールの骨組みを使って造られた。ビルの高さは90メートルだけど、当時はこれでも世界一の高さだったらしい。手前が北側だけど、この角はわずか2メートル弱の幅で、この角度で見ると、薄い壁の様にも見える。アンバランスでいつ倒れるかわからないと言われたりもしたけど、100年以上も頑張っていて、今では街のシンボルになっているらしい。 左側のビルの方が傾いている??? | |
マディソン・スクエアー・ガーデンです。ワシントンスクエアー、ユニオンスクエアー、マディソンスクエアーガーデンの中ではマディソン・スクエアー・ガーデンだけがガーデンらしいものは無いようです。 40年くらい前のプロレステレビ中継が大人気だったころ、ここが対戦会場として何度も使われたという記憶があります。 | |
囲英語版の碁の本を捜してこの近くまで来たのですが、目指す本屋はありませんでした。 ここはセントラルパークの北東の角2-300メートル南のThe Conservatory Garden。 | |
The
Conservatory Garden Official Quiet Zone, Walk your bicycle, Leash your dog, Do not pick the flowers or walk in the plant beds. 英語になれない私の独り言 なんで庭の名前にtheつけるの? 静かということに公式非公式あるの? なんで自転車を歩くの? (orだから)花壇に入らずに花を摘んでもいいとなんで書いてあるの? | |
The Conservatory Gardenから地下鉄に乗るために東に1キロ程度歩きましたが、鉄道のガードがありました。こういう雰囲気のところもマンハッタンの真ん中にあるというということです。 | |
9月15日 フラッシング・メドゥのナショナルテニスセンター、グラセンからブルックリンブリッジ往復 | |
USオープンテニスの行われるUSTAナショナルテニスセンターはライの南のロングアイランドにあります。そこへはメトロノースと地下鉄を使ってグランドセントラル経由で行きました。自転車持参なので、往路は朝のラッシュを避けて、隣の駅Harrisonから乗ることにしました。少し時間があったのでHarrison駅近辺を走りました。 | |
これは何だと思いますか?
眼鏡ケースです。列車の前の席にすわった、身なりの良い黒人が持っていたものです。それこそ、万年筆大でした。かさばらなくて便利だと思って、この黒人に話しかけ、写真を撮らせてくれと頼みました。ついでに、日本に帰ったら捜して購入するといいました。(勢いでそういっちゃったけど、購入はしていません。(^_^.)) 写真を撮る時に、彼がどうぞと言って渡してくれたので、こんな写真になってしまったのですが、後から考えて見るに、大きな手と小さな眼鏡ケースを一緒に撮りたいと言えばよかった。 この男性は、例外で、身なりもよく、黒人ということをあまり意識していないと思いますが、ニューヨークの黒人は随分意識している様に思いました。殆どの黒人は、会話があっても、笑顔は見せてくれませんでした。彼らから見て私は警戒すべき、あるいは、親しくしない方が良い人物扱いだと感じました。店の店員、ガードマンなどか多いですが、ガードマンは別として、店員なら少しは愛想良くした方が良いと思われるのですが、笑顔は見せてくれたことがありません。オランダの時は、そういう感じはほとんど無かったので、過去の歴史がそうさせているのだろうけどニューヨークのこのことはちょっと残念だと思いました。 | |
フラッシングメドウに到着しました。最初に目に入ったのが、メッツの本拠地、シェイスタジアムです。 シェイはSheaと書くから、シーアスタジアムかと思ったのですが、息子にも発音が違うと言われました。、ガイドブックを見ると、「シェイ」と書いてありました。 | |
高速道路を隔てて反対側にUSTAナショナルテニスセンターがあります。丁度、2008USオープンテニスが終わった直後でしたが、もうすでに 2009 US OPENの看板がかかっていました。 | |
ヤンキースタジアムは知っていましたが、シェイスタジアムも老朽化の為に今年限りで球場を変更するようです。こっちが古い球場で、2つ上の写真が新築球場の様です。直ぐ隣にあります。 | |
この地球のモニュメントはUSオープンのテレビ中継でよく見ました。 | |
1年前のUSオープン女子シングルス決勝の放送の前に出てきた地球のモニュメントです。 | |
キャノンの最高級一眼デジカメを所有の男性に撮影してもらいました。私も撮ってあげました。彼の所有のカメラはどれだったのだろう? EOS-1D Mark3 EOS-1Ds Mark2 EOS-1Ds Mark3 ネットで見たら本体だけで35万から85万という値段がついています。 |
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ナショナルテニスセンターはUSオープンなどの催がない時は閉まっているようです。テニスグッズとかの店を楽しみにしていたのですが、ちょっと残念でした。 | |
USオープンのスポンサー、シチズン、オリンパス、キャノンなどの日本企業、ティファニーなどもありますが、ジョージフォアマンというのがちょっとビックリ。元プロボクサーだと思いますが、幾ら出しているのでしょう。 | |
住宅街を走っていたら出くわしました。ニューヨークは、さすがに、マンハッタンでは見ませんでしたが、住宅地などではよく見ました。リスの害ってないのか心配になりますが、どうなのでしょうか。 我が家でも、時々リスを見かけますが、これより小さい気がします。 | |
ここでは特に日本車が目立ちました。左のはHonda、この近辺は中国人が多い様ですが、スバル、ニッサン、トヨタなどいろいろの日本車が路上駐車していました。 | |
星条旗は青空によく似合います。 | |
USTAナショナルテニスセンターに戻って来ました。近くのテニスコートです。 | |
フラッシングメドウから、地下鉄でマンハッタンに戻って、ウエストストリートを南下しました。ピア83でフェリークルーズをやった時に、ウエストStは自転車専用道があったのを覚えていたからです。その時にこの道はどこまで行けるかと聞いたら、チャイナタウンということでしたが、もっと南、というより、マンハッタンの南、つまりロウアー・マンハッタンを横断して、ブルックリンブリッジまで自転車道が続いていました。 カイドブックでは、自転車でマンハッタンの中央からバッテリパークまではバドソンStかグリニッチStを走るのが良いとなっていましたが、もっと良い道があった訳です。 | |
ウェストStは、ハドソンリバーに面していて、信号も殆どなく、ノンストップ自転車道です。 | |
これは何かよく分かりませんでした。マンハッタン島の周辺、数箇所にこんなものがありました。 | |
途中にテニスコートがありました。この表示はウエストstデハなくて、Canal St になっています。道自体は真っ直ぐ来たのですが、どこかで名前が変わっているようです。 | |
コートが3面あって、ここはシングルスで女性と男性が戦っていました。見た感じ本当に真剣に戦っていたので、その雰囲気を感じて下さい。 | |
市民コートで30分だったか、一定の時間で交代して使うということで、料金は不要ということのようでした。 | |
競争して走ったオネイサマの後姿。オランダでは、大きな女性が長い足でスイスイと抜いていきましたから、とても対抗できませんでした。ここでは負ける訳にはいかないと、抜きつ、抜かれつの末、相手が走路選択を誤まったのに乗じて、抜き去りました。フーフー。 | |
ブルックリンブリッジです。 | |
歩行者道、自転車道、車道はきちんと分かれています。 | |
後のエンパイアステートビルをバックに、通りかかった男性に撮影依頼をしました。 | |
ブルックリンブリッジの出来た経緯が書かれていました。 1867年から1883年に、イーストリバー(マンハッタン島とロングアイランドの間の川というよりは海)に初めての橋として作られ、出来た時は吊り橋としては世界最長とのこと。設計者が建設途中で亡くなったため、息子が後を引き継いで建設したという。親子2代で完成したらしい。 他の資料では、設計者John Augustus Roeblingは、設計に当って、当時考えられていたより6倍もの強度で設計した。同時期の橋の殆どが廃棄されたにも拘わらず、この橋が今日なお使用されているのは、このことが大きな理由のようです。 | |
この日の帰りは、輪行袋に自転車を入れてメトロノースに乗りました。 帰ったら、ウオーターメロンが待っていました。アメリカではすいかは安くて美味しいようです。(息子の奥様談) | |
9月16日 ダリアンを走る | |
ニューヨーク最後の日。この日は、午前中はメトロノースで30分くらいのDarian(ダリアンと発音するものかよくわかりません)を走り、午後は3歳の孫に図書館や遊園地を案内してもらいました。 | |
墓地はここでも綺麗なところです。 | |
ネットの地図と自転車ツーリングの案内書の地図を参考に走りました。現地の標識は川riverで、ネットの地図では池pondになっていたから、少し悩みました。 | |
綺麗な教会がありました。また、上からぶら下がっている信号機が印象的でした。マンハッタンではそうでもないですが、それ以外の地区では風が吹くとぶらぶら揺れる信号機が多かったです。 | |
mansion | |
Mather Meadows | |
戦没者の碑がダリアン駅の近くにあり、第1次と第2次の世界大戦の戦没者の名前が刻まれていました。 いつも人目に触れる場所だけに、戦争はしないという決意が漂っているような気がしました。 |
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ダリアン駅のホームにあった銀行の広告 | |
3歳の孫(左手前)に家から1キロくらいのところにある図書館と遊園地につれていってもらいました。 \(^o^)/ (*^_^*) (^^♪ |
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ダリアンで購入したトウモロコシです。この倍の6つで4ドルだから、日本より少し安いかな。味は良かったです。 | |
9月17日 ケネディ空港成田空港へ | |
息子が奮発してくれたハイヤー。タクシーもめったに乗らない私ですから、ハイヤーは空前絶後。いや、多分死んだ時に、もう一回、火葬場までは乗れるかな。でも、キンピカは嫌だね。(^_-)-☆ | |
9月18日 成田着 | |
品川からは新幹線で帰りました。10年は乗っていませんから本当に久しぶり。時間はあるけど、お金がない私はもっぱら青春18切符を愛用していますから、めったに乗りません。 | |
??? | 自宅に帰った時には、あいちゃんの大歓迎がありました。まず、私の姿を見ると、庭の入口付近で何度もジャンプし、抱き上げてやると顔をペロペロでした。大騒ぎで、写真を撮るどころではありませんでした。 |