数年前、NHKのテレビ番組で、世界遺産の飛騨白川郷の結が取り上げられ、また、囲碁のホームページの作者(木石庵さん)の様子が知りたくて、信州川中島へのルートを計画しました。途中、上高地も寄ろうと欲張りだったのが災いしたのか、結局後半の、平湯温泉〜上高地〜松本〜長野(川中島)は雨の為に中止しました。上高地、川中島にはもう一度挑戦したいです。 概要 (2007年8月26日〜27日、往路浜松〜美濃太田はJR、美濃太田〜北濃は長良川鉄道、復路飛騨細江〜浜松はJRを使いました。 自転車走行距離は、ひるがの高原と天生峠ということもあり1日当りの走行距離を短くしたので130キロでした。 8月26日 正午前に北濃へ到着し、自転車を組み立て、ひるがの高原(標高880m)経由白川郷まで走りました。 4時前には白川郷へ到着し、郷内を遊覧。合掌造りの民宿で宿泊しました。 8月27日 朝5時過ぎに起き、早朝の白川郷を走りました。 朝食後民家園を回り、10時前に出発、天生峠(標高1,289m)は正午前に到着。古川には2時ころ到着。 古川の街を散策。 8月28日 朝から雨で、いろいろ悩んだ結果、平湯温泉(標高1,300m)は諦めて、浜松に向かいました。 |
8月26日 | |
スタート地点の浜松駅改札口のすぐ近く、改札口からホームまでを自転車を担いで運ぶのは結構しんどいから、出来ればホームで袋詰めにしたい。 以前浜松駅に到着した時にホームで袋から出して、組み立て、構内を押して移動したことがありますが、やはり、叱られました。 | |
JRで東海道線を岐阜まで、岐阜から高山線で美濃太田まで、美濃太田からは長良川鉄道に乗り換えて、終点の北濃まで運んでもらいました。 この写真は同じ電車に母親と乗り込んでいた小学生の男の子に写してもらいました。 また、ここで、外人さんに自転車走行のアドバイスをもらいました。トンネルが多いから気をつけてと。 | |
北濃の南500メートルくらいのところにあった食堂。和風なのでレストランとは言いにくいが、中に入ってびっくり。ウェイトレスは当然オバチャンだと思って入ったのだけど、若い、美しい女性以外のウェイトレスはいなくて、しかも、客があふれていました。 ネット碁の知り合いで、北濃出身の知人の話では、以前は流行ってなかったが、店の方針が変わって客が増えたとのこと。 | |
ひるがの高原にもう2〜3キロのところで、このおばさまに「湧き水を飲んでいって」と呼び止められました。 自分の家の前に座って、自転車で走る人には声をかけているとのこと。流れ出ている湧き水はやはり美味しかった。 | |
長良川鉄道は長良川の上流に沿って走っており、終点の北濃からひるがの高原へは国道156号線を走りますが、やはり長良川に沿っています。地図を見ると156号線は岐阜からずっと長良川に沿って走っていました。 | |
蛭ケ野峠にある分水嶺のモニュメント。 | |
分水嶺のモニュメント拡大。 | |
夏でもこんなノボリが掲げてありました。 | |
蛭ケ野峠から2キロほどだったと思いますが、蕎麦の花が満開でした。 | |
御母衣発電所 | |
発電所の展示館にあった色紙。死にたいという言葉をよく口にする87歳の母に見せてやりたくて撮影しました。 | |
白川郷の入り口にある合掌造りの食堂を撮影。南からの入り口は集落全体から南西の方角になります。田んぼのあぜ道から撮影した写真が白川郷紹介のポスターになっていました。地図で見ると生活資料館にもなっている様です。 | |
睡蓮と建物がマッチした景色だと思って撮影しました。 | |
右の建物は納屋なのですが、風情のある建物だと思いました。 | |
数年前に、この長瀬家の屋根を葺き替える時の話をNHKスペシャルでやっており、後にそのDVDが図書館にあったのを見ました。今回の古川郷訪問は、そのDVDを見たのがきっかけでした。 その番組では、この建物が殆ど観光用に使われるという話はなかったので、今回訪問して、それが分かり、当然だったとは言え、ちょっと感激が薄れました。でも、世界遺産を守るために村の多くの人が協力して屋根を葺き替えたのだと考えれば、別の感激が湧いてきました。 | |
上の写真の「営業中」というのが違和感がありました。「展示公開中」とかそういう表現が妥当かと思います。 | |
長瀬家の2階です。 | |
長瀬家の2階から外を見たところ、絵になっていると思って撮影しました。 | |
長瀬家の入場時に貰ったパンフレットの一部です。 | |
当日宿泊した民宿です。合掌作りの民宿ばかりで、こんなところに宿泊出来るのはなかなかない経験だから嬉しかったです。 | |
8月27日 | |
朝5時に起きて、写真を撮りました。朝早い雰囲気を出したつもりです。 国の重要文化財の和田家を北側から撮影。 | |
村の北側にある展望台から撮影しました。すぐ下に和田家が見えます。 | |
日本ナショナルトラスト合掌文化館 | |
合掌文化館の西側に咲いていた芙蓉。建物がモノクロなので、その美しさが強調されていると思いました。 十分な絵になっていないけど・・・。 | |
再び和田家。 | |
芙蓉の花を沢山見かけました。 2つ上の写真よりは花が綺麗に撮れたと、(あくまでも自己?)満足度は高い写真です。 | |
白川郷野外博物館「合掌造り民家園」というのがありました。朝8時からオープンしていたので、朝食後チェックアウトして出かけました。全体の集落の位置からいうと西南西の方角、つまり南からの入り口に近いところにあります。 県指定重要文化財が9棟あり、庭も手入れがされていて、有料(大人500円)です。 ここは、建物の間が広く、庭の綺麗で、言わば「合掌造りの高級住宅地帯」の感じです。以下7枚の写真はここのものです。 | |
建物も庭も立派です。 | |
中野義盛家の主屋の屋内の様子。 | |
中野義盛家の主屋に展示の離村前のパネルの一枚を撮影しました。 タイトルは確か「最後の田植え」だったと思います。若者の村離れで村を放棄したのでしょうが、家もまた、住んでいる人にとっては懐かしい思い出です。自分が生まれた家が取り壊される前に撮影した8mmを見た時の感慨を思い出しました。 | |
合掌造り民家園を(村落の西側から)出て、再び南西の入り口から入り、この建物を白川郷紹介のポスター撮影と同じ角度から撮影しようと田んぼのあぜ道に入って撮影しました。 | |
南西の入り口から、改めて白川郷を縦断し、北東にある天生(あもう)峠を目指してひたすら登りました。 白川郷が標高450メートル、天生峠が1290メートル、距離が12キロなので結構急な登りです。 | |
ここ2、3年は年間6千から7千キロを走っていて、以前に比べるとトレーニングが出来ているので、そんなに苦しい登りという感じはありませんでした。 2000年に寸又峡まで行きましたが、その時はかなり苦しかった記憶があります。もう一度登って、歳は取ったけど脚力は衰えてないことを実感したいものだと思いました。 | |
白山連峰。地図を見ると白山スーパー林道に、白川郷展望台というのがあるので、この山(白川郷の西側)から白川郷が見渡せるところがあるのでしょう。天生峠は東側になりますが、白川郷を見渡せる場所はありませんでした。 | |
天生中滝 | |
天生峠についたのは12時ころ。 天生峠のトイレ。汗を沢山流したので、トイレは必要なかったのですが、外観が立派なので、入ってみるべきだったかも知れません。 この道を右側から登ってきたのですが、このトイレの向こうに自然公園があって、後で聞くと、入場する価値はあったようですが、そのまま、ここは手前の下りを降りてしまいました。 |
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途中昼食は取りましたが、下りなので、一気に古川に着きました。特に宿泊した古川ユースホステルは古川の北の端(飛騨細江)で古川の中心街から5キロくらい離れており、2時過ぎについてしまいました。 | |
次の日に行く予定の平湯峠は標高1684メートル。古川の標高が気になるところです。 | |
493メートルということは、平湯峠は1191メートル高い。フー(-_-;) | |
NHKの朝ドラの「さくら」でこの場所の写真がよく出てきたので撮ってみました。 | |
上の写真を北(この川は奥から手前に流れています。奥が北になります。)に向かって300メートル行った左手にあった店で、いっぷく。 | |
奥行き感を出そうと縦にしてみました。 下の写真は反対側になります。 | |
山本茂実の「ああ野麦峠」の一節がモニュメントになっていました。野麦峠を越えて古川にも来た娘さんがいたのでしょうか。翌々日の行程に野麦街道を走る予定だったので、興味が湧きました。 | |
山本茂実の名前は小さくてはっきり見えません。 | |
8月28日 | |
古川のユースホステルで同室になったスーパーマン。 何故スーパーマンかというと、前々日に乗鞍高原を1300メートル登るレースに参加し、また同じルートを前日に登って平湯峠経由で古川に来たからです。 彼から平湯峠を経由しない平湯までのルートを聞いて、国道を通らずに県道で行くことにしましたが、結局雨で実現しませんでした。ただし、後日、箱根峠を登る時に、やはり国道でなく、県道を通ったのですが、スーパーマンからのアドバイスを参考にし、楽しいルートを走ることが出来ました。 |